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◆対談後記 |
なべ君とは、実はメールの関係である。 「シナリオ教室にもの申す」というコンテンツを見て、彼にメールを送ったのがきっかけだ。 対談前に決まっていたテーマは、 ・作品制作の中で妥協点はどこですか? ・創作のインプットは何ですか? の2つだけであった。 インタビュー形式で答えると瞬間的に終わってしまう内容である。どう広げてくれるのだろう。そういう期待と不安があった。 対談は、相手で決まる。 双方に呼応しあうものがなければ、幸福な言語的流通はありえない。うまい具合に会話をリードする力がなければ、ただの内輪話と堕する。 ──しかし、彼はまさに適任であった。 ともに親指シフトキー愛用者であったということもあるのかもしれない。ともあれ、彼は優秀な聞き手であり、優秀な対話者であった。 しばらくチャットから遠ざかっていたわたしに、対話する楽しみを思い出させてくれた。 この場を借りて、楽しい機会を与え、よき対話相手を務めてくれた彼に感謝の意を表したい。 また、彼のサイトにも、この対談の記録が公開されている。自分のバージョンとは違って、ほぼ生ログに近い状態である。御覧いただきたい。 「創造の周辺」というタイトルは、あとでつけられたものである。 対談が行われたのは、2002年12月15日。1週間早ければパールハーバーだった。 別にそれがクロノロジー的に意味があるわけではない。2002年12月15日は、それ以外の何物でもない。 しかし、その日キーボードを通して交わされた言葉は、ひとつの到達点だった。 ゲームを形作っていく時、物語をテキストにしていく時、 書き手はどういう問題にぶつかるのか。 その時の書き手の意識のあり方とは? パロールとエクリチュールが溶け合うチャットという独特な世界で、言葉は常に、あるひとつの周辺をめぐりつづけた。 すなわち──美少女ゲームを超えたひとつの創造、である。 そのひとつをめぐって、言葉は常に周遊しつづけていたように思う。 最後に、この対談が加工されていることをお断りさせていただく。 もとより我々が目にする対談というのは加工されているものである。録音テープをそのまま記述しても記事にはならない。 ネット対談にしても同じである。話をわかりやすくするため、あるいは不明な箇所を補い強調するため、加筆、順番の入れ換えなどを行った。 そのことを、最後にお断りさせていただく。 2002年12月18日(火) 鏡裕之 |