◆エロゲーというもの〜『GREEN』をプレイして〜 2001.11.12
   
 エロゲーとは何だろう。
 ──18才以上を対象としたパソコンゲーム。
 それは定義であって、答えではない。エロゲーとは何かという問いは、エロゲーの本質に対しての問いである。
 よく議論されることで、エロゲーはゲームなのかポルノなのかという問題がある。
 ある者は、エロゲーはポルノだという。ある者はゲームだという。
 だが、涙をそそる感動的なお話の結末に、申し訳程度に1、2枚のエッチCGが現れてお茶を濁すようなエロゲーも、ポルノと言えるのか。抜くという実用性があってこそポルノであるとするならば、エッチシーンの薄すぎるエロゲーはポルノではないということになる。同様に、ほとんど一本道で攻略性もなくただクリックするのみというエロゲーも、ゲームと呼べるのだろうか。ユーザーが主人公の行く末を左右できる<参加性>があってこそゲームであるとするならば、傍観する作業の多いエロゲーはゲームではないということになる。
 両者とも、正しい答えであるが、十分な見方ではない。どちらか一方に限定しようとするから、話がおかしくなるのだ。ゲームとしてただ規定しようとすること、あるいはポルノとしてただ規定しようとすること、それが間違っているのである。
 エロゲーは、ゲームであり、ポルノである。ポルノであり、ゲームである。いわば、二重性の存在なのだ。たとえ希薄なゲーム性や希薄なポルノ性しか持ち合わせていないとしても、<ゲーム>と<ポルノ>の二重性こそがエロゲーの条件なのだ。
 だが、昨今、決して無視できない数の作り手たちが、エロゲーがポルノであることを忘れているように思える。あるソフトハウスの面接で、自分はエッチシーンは書きませんと正面切って言い張った応募者の話や、面接官からエッチシーンのことを聞かされて真剣に驚いた志望者の話を耳にするにつれ、激しい嘆きと悲しみを覚える。泣きゲーと呼ばれる、傷と涙をメインに据えたゲームが登場して以降、そういう勘違い組・思い上がり組が増えているようだ。
 そんな中で、ほっとできるエロゲーに出会った。
 『GREEN』。
 映画部の部員たちの映画撮影と恋愛を描いた、アドベンチャーゲームだ。売りはアニメーションである。
 複数の女の子とエッチするルートが用意されているとはいえ、ゲーム性は決して高いというわけではない。しかし、それもメインヒロインのストーリーとエロを楽しんでもらうための、自然な配慮なのだ。
 数百本のインディーズビデオを参考にしたという、熱いエロへのこだわり。様式的な構図の目立つ昨今のエロアニメとは一線を画す、十分に練られた、濃密なエッチ・アニメーション。それもワンシークエンスですぐ終わるような代物ではない。数シークエンスがしっかりと連なっている。しかも、メインヒロインに限っていえば、エッチシーンは3回も、シチュエーションもプレイも差別化して、タイミングよく用意されているのだ。恋愛ものといえば、エッチシーンは1度だけというのが趨勢を占める今の時代にあって、数シークエンスのエッチシーンを3度もフルアニメーションで送り出すという企業努力は素晴らしい。
 これこそ、エロゲーだと思った。正確に言うなら、エロゲーのポルノ的側面をみごとに体現した作品だと思った。
 決してポルノを蔑ろにしない姿勢。
 まさにエロゲーがポルノでもあることを明確に示した、その作り。
 これこそ、エロゲー制作者が見習うべき心構えであり、目指すべきスタイルだと思った。同じ作り手としても、一ユーザーとしても、共感し、満足することができた。
 
 エロゲーはポルノであり、ゲームである。ゲームであり、ポルノである。
 我々作り手たちは、そのことを忘れてはならないだろう。『GREEN』をプレイするたびに、そんなことを思うのである。
   

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