◆思考に頼るな 2000.9.24

 よく考える人、思考する人が陥りやすい罠がある。

 それは、考えることしかしないということだ。自分の足を使って生情報を得ずに、手持ちの不確かな間接情報だけで考えてしまう。

 たとえば、恋愛。

 片思いだとする。

 お目当ての女の子が自分のことをどう思っているのかが気にかかる。気になるから、自分のことを好きなのかどうか考える。

 が、考えるには生情報が少なすぎる。優れた直感があればわかるのだが、ウンウン唸っているときはそれも鈍っているので余計にわからない。自分が掴んでいるのは、頼りにならない不確かな情報だけ。にもかかわらず、情報が不確かだということを知っていながら、その不確かな情報から正確な答えを捻出しようとするのだ。
 
 思考の陥穽。頭のいい人間が陥りやすい罠。

 思考は便利な道具だ。体を動かすという面倒なことをしなくても、いつでもどこでも使える。だから、いつでもどこでも使ってしまう。

 際限なく延々と。

 でも、それが罠なのだ。

 便利すぎるから、いつもいつも頼りすぎてしまう。使ってはいけないとき、別の手段を使う必要があるときも、思考で代用しようとしてしまう。そうしてずるずると思考地獄にはまっていくのだ。

 ものごとには、思考だけで解決できないときがある。

 時には思考を停止するべき時、あるいは自分の目と足を使って生情報を手に入れるべき時がある。

 だが、思考の便利さにどっぷりつかっていると間接情報というバーチャルの世界に安住してしまって、思考の罠から抜けきれない。抜けられないばかりか、とんでもない方に暴走してしまう。

 こんなことがないだろうか。

 Aさんを誘おうか、という話になったとき。本人に訊けばいいのに、訊くのは面倒くさいからと訊かずに判断、連れていかないことにしたら、実は本人は行きたかった……とか。

 本人に確かめて「生情報」を得るということをせずに、思考だけを使おうとすることからそうなってしまうのだ。

 思考しすぎてはいけない。
 
 思考に頼ってばかりではいけない。

 時には思考を使わないこと、自分の目と足を使って生情報(一次情報)を得ることも必要なのだ。それは、人の話を聞かない人には一番要求されていることかもしれない。

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