◆クレタ人のパラドックス 2000.8.3

 まず、基本的な用語解説。

 パラドックスとは、逆説、矛盾のこと。

 矛盾というのは、中国の故事にある、楯と矛の話ですね。ガンダム的に故事を紹介すると、カイという商人がいた。売り物の楯を取り出してカイが言うには、「おれの楯は最強だ。どんなビームサーベルも跳ね返すぞ」と。さらにカイは調子こいて、売り物のビームサーベルを取り出し、「おれのビームサーベルは最強だ。どんな楯も貫くぞ」。

 それを聞いてランバ・ラルが言う。

「では、貴様のビームサーベルで貴様の楯を貫いてみろ」

 どきっとする売り子カイ。

 ビームサーベルが勝れば、ビームサーベルが最強という売り文句は正しいと証明されるが、代わりに楯が最強という売り文句が嘘だということになってしまう。

 逆に、楯が勝れば、楯が最強という売り文句は正しいと証明されるが、代わりにビームサーベルが最強という売り文句が嘘だということになってしまう。
 
 そういう内容です。


 さて、クレタ人のパラドックス。

 有名なパラドックスですが、まずご紹介しましょう。

 クレタ人は、クレタ人は嘘つきだと言った。

 最初に聞いてどう思いますか?

 ふ〜ん、クレタ人って嘘つきなんだ、そう思いますよね?
 
 でも、よく考えてみましょう。

 クレタ人が嘘つきだというのなら、「クレタ人は嘘つきだ」と言ったクレタ人はどうなるんでしょう。

 嘘つきのはずですよね?
 
 だとすると、「クレタ人は嘘つきだ」という内容嘘ではないのか。

 でも、待てよ。

 内容が嘘だとすると、「クレタ人は嘘つきじゃない」ということになってしまう。

 すると、「クレタ人は嘘つきだ」と言ったクレタ人も、嘘をついていないということになってしまう。

 でも、ストップ!

 クレタ人が嘘をついていないということは、「クレタ人は嘘つきだ」という内容は、本当だということになります。

 すると、あれれ……?

 「クレタ人は嘘つきだ」と言ったクレタ人はまたもや嘘をついていることになってしまう。

 無限ループウロボロスの輪。いったいどっちが正しいの?


 問題はこういうことです。

 一般論と個別論をごちゃ混ぜにするから悪い。

 本当はこう言っているんです。

 (ある)クレタ人は、(概して一般的に)クレタ人は嘘つきだと言った。

 「嘘つきだ」と言ったクレタ人は、あくまでも個別の人です。

 嘘つきだ、と告発されているクレタ人は、集合的なクレタ人。一般的なクレタ人です。

 その一般と個別の違い、一個人が一般命題を唱えているいう事実を無視して、個別のクレタ人と一般的なクレタ人をあたかも一人の同一人物であるかのように捉えるから矛盾が起こるんです。

 個別と一般の省略。

 でも、これって日常生活でもよく起こっています。たとえば、我々がコミュニケーションを取るとき。この「個別」と「一般」の取り違えが出てきます。
 
 自分は「一般」のつもりで言っているのに、相手は「個別」と捉え、自分に対して個人攻撃されているのだと勘違いして妙に突っかかって来る。そういうこと、ありませんか?

 コミュニケーションを取るとき、特に小難しい話をするときに、よく起こることです。くだらない口論、くだらない喧嘩はこれが原因だったりする。

 クレタ人のパラドックスを日常生活で回避するためには、個別命題か、一般命題か、つまり、特殊論か一般論か、はっきり言明してから話を進めたほうがいいでしょう。

 人というのは、えてして被害妄想で、自分が悪者になること、悪く言われることに対しては神経質なのです。

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