『サクラ大戦』のアニメを見た。
TV放映第二話。
オープニング、よろしい。歌はよろしい。作詞もよろしい。
つまり、外っ面はよろしいってこと。
で、中身は?
ふふふ、吠えましたぜ。
いやあ、見てるのつらかった。一人じゃなきゃ1分で切ってるね。
お話は、傷心したさくらがふらふらと歩いているところから始まる。父親らしき姿を見つけて追いかけていくさくら。
でも、父の姿はない。
町で知り合った子供の家に泊めてもらうことになるが、ひとりきりになった彼女は、なんと突然そこのおかみさんに泣きついてしまう。
おれはひっくり返ったよ。いや、ひっくり返って見ていたので
悶絶した。
呻きましたよ。
なんでって?
あのね。
BGM流して、キャラクターの顔をゆがめてわ〜〜って泣かせりゃお涙ちょうだいできるってわけじゃないのよ。
よ〜く考えてみよう。
さくらが泣きついた相手って、ぜ〜んぜん知らない人だよ。
その日初めて会ったんだよ。
そんな人に、優しく声をかけられただけでわ〜〜って泣く? 泣かないでしょ?
泣くためには、相当の理由が必要なんだよ。
ただ、きれいな絵見せて、傷心しているさくらの横顔描いて、声優さんに優しい台詞を言わせたって、全然理由にならないんだよ。それじゃあ完璧説明不足でしょうが。
安易なプレイバックにも腹が立つ。
父親との昔の思い出。
ただ流しゃあいいってもんじゃない。なんで紋切り型のシーンとキャラしか考えられないのかね。
脚本見たら、打ち切りになったガンダムのシリーズ構成していた人だったんで、すげえ納得したけど。
シナリオでドラマも作れず人も作れず、演出もできず。
才能がないのに、なぜテロップに名前を流しているのか、はなはだ疑問。己の浅学非才を恥じてせめて匿名にしてほしいもんです。
絵はきれいです。
でも、絵とBGMと声優さんの声だけでドラマを作ろうとしている。シナリオは不在。演出も不在。
キャラクターという記号を動かそうとするからこうなっちゃうのでしょう。
人間というとらえ方が出来ていないのです。
さくらという女の子が泣くにはどういうきっかけが必要なのか。この子はどういう泣き方をする子なのか。そういう、さくらという一人の女の子の
感情的構造に対しての洞察がまったく出来ていない。
人間の感情がわからない人間にシナリオを書く資格はありません。
今のアニメ業界に携わっている若手のシナリオライターには、そういう人が多いような気がします。