無二の親友が教えてくれたことがある。まだ、自分がまともに女の子と付き合う前の話だ。
「男も、ちゃんと女に弱み見せてやらなきゃだめなんだな。おれにはおまえが必要なんだって示してやんきなゃだめなんだな」
立場を変えても同じことが言える。
つまり、
女も男に弱みを見せてやらねばいかんというわけだ。互いに弱みを見せあい、互いが互いにとって必要であることを確認するのが、恋愛という行為なのだろう。
だが、これが結構難しい。
プライドの高い人間は、他人に頼ることを屈辱と感じて、己の力を誇示すべく、また己の非力を認めぬがために、独力で問題を解決しようとしてしまう。
自分が弱いことを隠している人間は、己の非力さから逃れるために、彼/彼女に相談する方をとらず、ひとり苦しむ方を選択してしまう。そういう人たちがたどるプロセスはこうだ。
ちょっとした相談事でも、彼/彼女に持ちかけず、
自分で処理。でっかい問題でも、「あいつには言っても仕方ない」と
勝手に内部処理して自分で解決を図る。が、オーバーフローしてハングアップ。悩んでいるところを、ちゃっかり彼/彼女に見つかって
「どうして言ってくれないの!」と怒りをぶちまけられることになる。
なぜ、彼/彼女は怒ったのか?
答えは簡単。
自分を頼ってくれなかったからだ。
なんのために付き合っているのか。そういうときのために自分がいるのではないのか。互いが苦しむ様を見捨てるために男と女は付き合っているわけではない。
好きな人のためには何かしてあげたいものだ。力になってやりたいのだ。
その人の支えになることで、人はその人への存在意義を確認するのだ。
恋愛は究極の存在意義確認行為である。
だからこそ、弱みを見せてもらえないと自分の意義が薄まるように思えるのだ。おれは、あたしは、なんのために付き合っているのだ。なんのために、あの人のそばにいるのだ。重要な局面で頼ってもらえないと、自分が相手にとって存在意義がないように感じてしまう。だから、あまりにも弱みを見せてもらえないと、「自分がいてもいなくても、あの人には関係ないんだ」と考えて愛する人の元から去ってしまう。
なにがいけなかったのか。
答えは明白。
弱みを見せなかったからだ。
オイルがなければエンジンは燃え尽きてしまう。弱みを見せることがなければ、恋愛は動かなくなってしまう。「この人にはわたしが必要なんだ」と存在意義を確認させてやらないと、恋愛は途中で脱線してしまうのである。
考えられる処方箋。
たとえば、付き合っている彼の前で泣けること。彼女の前で泣けること。
それは、弱みを見せることである。
涙を流すなんていやだ、と男は言うかもしれぬが、
泣いてくれない彼/彼女のほうがよっぽど相手にとってはいやである。自分の前で泣いてくれれば、女は男を愛しく思う。男だって、自分の前でつらさを吐露して泣く女をかわいく感じる。弱さを吐露した姿を前に、相手への存在意義を確認することができる。そうして愛は強化されるのだ。
男女ともに、変に頑張りすぎないこと。いい意味で相手に弱みをさらけだし、相手に頼ること。
他の人の前では泣かないけど、自分の前では泣いてくれる彼。自分にだけはちゃんと相談してくれる彼女。なんとかわいいではないか。そんな相手の姿を見て、男も女も、ともに愛を、自分の存在意義を感じるのである。