以前、梶原利夫氏から浮田幸吉を知っているかと聞かれ、知らないと答えると後で昭和15年に竹内正虎によって書かれた日本航空発達史のコピーをいただいた。
リリエンタールが初飛行した時期より100年前、これに刺激されて動力飛行したライト兄弟より120年前に日本人が空を飛んでいたという。
浮田幸吉は現在の岡山県玉野市出身で、評判の表具師であったという。鳥の飛ぶ姿を観察して自分も飛ぶことを考え1780年代に橋の上から飛行して官憲につかまり、岡山を所払になったという。
のちに今の静岡に移住し時計修理や入れ歯の作成などで評判をとり備考斎(びんこうさい)と呼ばれとても繁盛したという。
「日本航空発達史」は戦前の文章で分かりにくいところが多かったので、水木しげるの東西奇っ怪紳士録の中に収録されている「幸吉空を飛ぶ」や筒井康孝の傾いた世界に入っている「空飛ぶ表具師」
、飯嶋和一の「始祖鳥記」などを通読した。鳥人間コンテストなど現代なら喜ばれるような行動が、幸吉の時代では過去帳などからも消し去ろうとしなくてはならなかったというのは考えさせられる。
昔の入れ歯もよく知らなかったので、笠原浩の「入れ歯の文化史」、さらに新藤恵久の「木床義歯の文化史」なども読むこととなった。現在の入れ歯の素材であるアクリル樹脂は削りすぎたら足す
ことも可能だが、 黄楊などの木材はそんなこともできないわけで昔の人の技術の高さには驚くことばかりだ。
梶原さんが小さい頃作ったという昆虫の形をした根付けを見せてもらったことがあるが、 象牙などを入れ歯の人工歯として細工するには根付けの技術が欠かせないらしい。