調布市国領町不発弾処理


掩体壕と飛燕掩体壕と飛燕

 2008年5月18日にあった太平洋戦争時の大きな不発弾処理では、国領町の名前が全国的に知れ渡ることとなった。
 緊急避難の話があった当初、不発弾のある場所から当院までは500メートルよりやや遠いので避難対象とはならないと高を括っていたのだが、避難範囲が発表されてみると、当院東側の道を境にして避難の 対象に入っていることが判った。当日は日曜日だったので診療への影響はなかったが、この前後しばらくの間は不発弾の話で持ちきりであった。

 この爆弾は1945年4月7日に来襲したB29爆撃機100機のうちの1機が積んでいた1トン爆弾で、すぐ近所の調布飛行場から迎撃に飛び立った飛燕がこのB29に体当たりして墜落した際の落とし物だそうである。  この1件以来、調布飛行場やその脇にある掩体壕、飛燕の模型などがより身近に感じられるようになった。

 患者さんの中には、中国や韓国などが大戦当時の爆弾などの処理の損害賠償を日本に今でもするくらいなのだから、避難にかかった費用などをアメリカに請求すべきだという人も多かったが、これが戦争に負けて 無条件降伏をしてしまった国の性なのであろう。

 ところで、私が歯科の往診をしていた寝たきりで一人住まいの老人のアパートが、この避難範囲に入っていた。往診した際、同席した息子さんが『寝たきりで動けないから、そのまま置いておこうかと 思っているんですよ。』と言っていたが、退去命令は実行されたのだろうか?
気になる・・・・・

佐藤歯科フラッグ